臓物記念公園

簡単に見つかるオアシスは蜃気楼。熱せられた砂を掘り、指先の痛みに耐えて見つけた湧き水だからこそ魂を潤し、止まりかけたキャラバンの背中を押した…やがて君たちは星に導かれ、真のスターとして漆黒の闇に光を放つことを、俺は約束する。

バーチャル化するキャラと私たち

バーチャルリアリティーが押し寄せてくる!

 

 こんにちは青腸です。

 

 ニコニコ動画世代のインターネット初老の私ですが、最近目まぐるしく規模が広がるため加齢も相まって、上手く追いきれていないコンテンツがあります。

 

 

 

 

増えるバーチャルYouTuber

 最早説明をわざわざする必要もない位にインターネット住まいのオタク達には馴染みが深い彼等ですが、何せ人数が尋常ではなく現在(2018年5月28日)その数は3000人を超えたそうです。

4月末からカウントして5月末へかけ1000人増えたそうです。

バーチャルYouTuberが3,000人を突破 合計チャンネル登録者数は1000万人以上に | Mogura VR - 国内外のVR/AR/MR最新情報

  

私なりにバーチャルYouTuberとはなんぞや?と考えて見ました。

 

キャラ化するニッポン (講談社現代新書)

キャラ化するニッポン (講談社現代新書)

 

  11年前に発行されたこちらの本が取り上げるテーマはずばり「キャラ化」です。

 著書曰く「僕らは仮想現実を生き始めている。仮想現実で生きる以上、ぼくらは「キャラ」でしかあり得ない」と主張しています。

 正に今YouTubeを中心に拡がる発信アカウントのバーチャル化の機運を言い表しているような気がしてなりません。

 

そもバーチャルとは何か?

【バーチャル(virtual)】
[形動]実体を伴わないさま。仮想的。疑似的。

 

 ここ半年で大きくインターネットを介して活動をしているバーチャルYouTuberにこの定義を当て嵌めると違和感を感じます。

 実体を伴わない何者かに我々は熱狂しているということにならないでしょうか?

 

 

 

バーチャルな存在をメインに据えたイベント

 

 2018年6月1日にこのようなイベントが開催されました。にじさんじ所属の月ノ美兎氏をメインに据えたトークショーなのです。スクリーンに写し出された彼女がリアルタイムで質疑応答するスタイルがとられた様です。

キャラたちに感謝されて涙が出た──ねづみどし・小林銅蟲 出演「月ノ美兎の朝まで起立しナイト」レポート – ページ 2 – PANORA

 

 スクリーンに写し出されたキャラクターで行われる興行は珍しいものでは無く、初音ミクのライブ【マジカルミライ】があげられます。

初音ミク「マジカルミライ 2018」

 

 マジカルミライは事前に用意された歌唱動画を順次投影するスタイルをとり、朝まで起立しナイトについてはスクリーンに投影されたlive2Dのキャラクターにリアルタイムトークを展開するスタイルが、両者のイベントを比較した際に見られる大きな違いでは無いでしょうか。

 YouTubeやミラティブなど利用したリアルタイムで行われるライブ配信からわかるように、ユーザーにコンテンツが提供されるまでのタイムラグは限り無く0になったと言えます。

 このようなイベントが催されている点から、実体を伴わないバーチャルな存在とリアルを隔たる境界は限り無く平坦化しているのでは無いでしょうか? 

 

 

 アバター獲得の新しい形

  先述のイベントは企業が組織的に準備した月ノ美兎というアカウントで成されたイベントです。企業を介さず個人で活動が成されているアカウントは無数に存在しています。

 彼等の活動形態はMMDやLive2D、果てはパペットを用いて作成されたアバターに肉声もしくは電子音声を重ねて、インターネットの動画配信サイトやSNSを用いて思い思いに情報が発信されています。

 発信される内容は台本が予め用意されたものを演じる、アバターに設定されたプロフィールに沿ってアフレコする者がリアルタイムにロールプレイを行う、大きく別けて二つのパターンが存在します。

 生身のYouTuberとバーチャルYouTuberの違いについて考えて見ましたが、モニターに写る主役に重なるレイヤーがハンドルネームのみなのか、はたまた2次元的に生成されたアバターを着込んでいるか、匿名性の高さで比較するならバーチャルYouTuberの方が圧倒的に高い筈です。

 2次元的なアバター獲得による匿名性の取得という文化はSNSを利用する者にとっては馴染みが深く、SNSでの発信は主にテキストによって成される2次元的な表現が主流です。

 SNSによる情報の発信によって何が成されているのか?

それは「キャラ化した私」のイメージを補強するロールプレイです。

 

 冒頭で取り上げた書籍「キャラ化するニッポン」が主張する社学の流れが、新しい臨界を迎えたのが正に今なのでは無いでしょうか?

 「私のキャラ化」によるアイデンティーの確立の形が、テキストで成される2次元的な表現から、更に2次元的に生成されたアバターを重ねることにより、リアルタイムでコミュニケーションが取れリアクション返せる2次元的でありながら奥行きを増したアカウントの獲得、バーチャルYouTuber化によって「新たにキャラ化した私」という形でアイデンティーの確立がシフトしているのではないのでしょうか?

 

 

 

アカウントのキャラ化がもたらす効果

 「身体とプロフィールのキャラ化」によりもたらされる効果は以下の通りだと考えられます。

キャラによるフィルターが掛かった発言ができる

・あくまでも架空のキャラによる発言ができる

・リアルでは発露しない私の内面を出す精神的抵抗が軽減される

 バーチャルYouTuberの配信をいくつか見ていると、自身の趣味に関する発言がリアルで発信される内容より、生々しさを帯びたもののように感じます。何故そのような傾向をし示すかは先述の3点を踏まえることで説明できるように思います。

 擬似的に生成されたアバターに私心を乗せることで、日常的に振る舞うリアルな私が持つイメージを崩すことが無くなり、よりおおらかな発言ができるのでは無いでしょうか?

 

 フランスの社会学ピエール・ブルデューの著書【ディスタンクシオン】にて「テイスト(人々の好み)は個人の好み以上の意味を持ち、テイストによって人々が自分と他人の間、仲間とそうでない者の間に線引きをする」と主張しています。

 要するにテイストの違いによりコミュニティーから仲間外れにされるリスクを回避する装置としてもバーチャルYouTuberは機能しているのでは無いでしょうか。リアルな場で発言が憚れるような趣味の話を自由にしても許される、ともすれば多くの同意や共感、肯定を受けることができるバーチャルな土壌は実に魅力的な場のように思います。

 

終わりに

 コミュニケーションの新しい形態の変容を発信アカウントのバーチャルYouTuber化「私のキャラ化」という形で、リアルタイムで展開されているのが正に今なのかも知れません。

 アイデンティーの電子的な獲得が自分の意思で自由にできる時代がやって来たオタク社会に注目したいと思います。